Love Letter 真梨邑ケイ
これこそが幻の名曲「ラブレター」。JAZZではある意味スタンダードだが、1945年の映画『ラブ・レター』の主題歌で1962年にケティ・レスターとエルビス・プレスリーの歌がともにリバイバル・ヒットしミリオン・セラーとなった。1986年デイヴィッド・リンチ監督映画『ブルーベルベット』のバックで流れるだけでなく、デニス・ホッパーの台詞にも「ラブ・レター」の歌詞が使われている。
そしてエンゲルベルト・フンパーディンクも・・イイ。
Love Letter 真梨邑ケイ
これこそが幻の名曲「ラブレター」。JAZZではある意味スタンダードだが、1945年の映画『ラブ・レター』の主題歌で1962年にケティ・レスターとエルビス・プレスリーの歌がともにリバイバル・ヒットしミリオン・セラーとなった。1986年デイヴィッド・リンチ監督映画『ブルーベルベット』のバックで流れるだけでなく、デニス・ホッパーの台詞にも「ラブ・レター」の歌詞が使われている。
そしてエンゲルベルト・フンパーディンクも・・イイ。
The Rose 手嶌葵
ベット・ミドラー主演映画「ローズ」の挿入曲。
ベトナム戦時中の60年代、アメリカを舞台に、酒と麻薬に溺れながらも歌いつづけた女性ロック・シンガー「ローズ」の人生を描いている。ベット・ミドラーの持ち歌だが、思わず聞いてしまった手嶌葵・・。
夜が寂しく、道が遠い時 愛とは強く、運がいい人にしか
やって来ないと思う時 思い出して
冬の冷たい雪の下、奥深く眠る種は、太陽の恵みを受け
春に萌える 薔薇なのだと
昼下がりの情事 ゲーリー・クーパー
“ジョウジ”・・なんと怪しくも艶めかしい響きなのか。当時、映画雑誌「スクリーン」のページをめくり、見てもいないその映画のシーンを想像し、写真と文章を頼りに、持てる限りの知識と想像力だけで胸を時めかせることができた。その言の葉には、授業中の教師の“常時”、などという発音を聞いただけでも、怪しさを呼び起させる程の魔力があった。しかし高校生を取り巻く環境も変わりその魔力も失せ、青春を時めかせ、想像を輝かせる響きはもうない。
Honesty ビリー・ジョエル
バラードの名曲。
優しさを探しているなら 見つけるのは難しくはない
生きるのに必要なだけの愛は手にいれられる
でも、本当に満たされるものを探してるなら
手探りでも見つからない それくらい与えるのは難しい
誠実、なんて孤独な言葉なんだろう
みんな心の内を隠している
誠実、めったに聞かないけれど
僕には必要なんだ 君に真っ直ぐにいてほしい
華麗なるポロネーズ ヘンリク・ヴィエニアフスキ
パガニーニ、サラサーテ、ヴィエニアフスキのヴィエニアフスキ。
ポロネーゼはフランス語で「ポーランド風」という意味でポーランド起源のダンス舞曲。テンポが4分の3拍子で、もとはポーランドの民族舞踊であったらしい。ヴィエニアフスキ国際ヴァイオリン・コンクールが有名。
Forever クリス・ブラウン ( with dancers )
夢見る想いNon ho l'età ジリオラ・チンクエッティ
ジリオラーノ・ノノレターナ・デ・ワタシニーハ・トシハナイータ・
イタリアーノ・チンクエッティーネ・ジュウロクーデ・サンレモーノ・
ア・ドマーニ・・・チャオ・・チュッ。
夢見る想い・・No Ho L'eta (直訳:私には歳はない)。
16歳のときにサン・レモ音楽祭に参加しこの歌で優勝。
いそしぎ The Sandpiper エリザベス・テイラー、リチャード・バートン
1960年代、この程度のシーンに胸躍らせ、校則がナンダ、学校がドウシタ、停学がナンナンダ・・と映画館で血潮をたぎらせつつ一字一句逃すものか、と血眼になって字幕を追ったものだ。しかしあまりにも真面目で融通の利かないスバラシイ先生が上映終了に合わせ、にこやかに出口で待っていらっしゃたりもした、時々。映画以上のモリアガリ・・。
http://www.youtube.com/watch?v=mmMGdA2Yq70
正調 アンディ・ウイリアムス
http://www.youtube.com/watch?v=fmUeHIF9gAI
We're All Alone ボズ・スキャッグス
作詞・作曲 ボズ・スキャッグス
彼は白人でありながら、R&Bが基調でこのWe're All Aloneを収録したアルバムでR&B部門のグラミー賞を獲得した。
後に映画「ホリデイ」が公開されるが、使われたのは77年にリタ・クーリッジがカバーしたもの。
この曲の内容は死んだ主人公を目の前にして悲しんでいる恋人に向かって“死んだ主人公”が語りかけている想定で、ボズのヴァージョンには当初「二人だけ」という邦題が付けられていた。その後、リタ・クーリッジがカバーした時に「みんなひとりぼっち」と邦題が変えられていた。マいろいろあるがどちらにしても・・いいものはイイ。
リタ・クーリッジ
http://www.youtube.com/watch?v=eG9pMypCXJE&feature=related
アンディ・ウイリアムス・ショーで目覚めた頃の1960年代後半、東北放送ラジオ「AMO」や、関東エリアのキー局ではニッポン放送の「オールナイトニッポン」、TBS「パックインミュージック」、文化放送「セイヤング」などの「深夜放送」は学校で話題になることが多かった。深夜、AM電波から聞こえてくる音楽は“ときめき”を与え、ある意味勉学生を支えた。そうなのだ、しかしそれ以前、そもそも基礎的な部分で独善的青春音楽史を培ったもの。それは独善と欺瞞に満ちた時代ゆえではあったが、今あまり語れない。小3から始まりアチコチ連れまわした9歳上の叔母の存在、それがすべてだからだ。
ところで“家族同伴”は甥も含むのか?・・場合にもよるけど。なにやら胡散臭いし大概はそんなもん意味はない。普通は両親、年上の兄弟などだが“甥同伴”に群がるその又同伴女学生の存在。1960年代の高校生は環境変化に対応できない親・学校の“学校許可”が欲しかったのだ。甥にお願いする眼差しも尋常ではなく、その凄みで圧倒されたものだ。子供心にもこれは“脅し”というものに違いないと。
しかし、それほどまでしても憧れる魅惑的な世界。それは確かに見渡す限り広がっていて、今日のように軟弱でいつでも手に入るような音楽環境と違い、緊張感や貪欲なあこがれなど、肌で感じられる程の張りつめた雰囲気がピリピリ伝わって来た。映画館で小3の時、ヒッチコック監督「サイコ」の血に彩られたシャワーシーンを“家族同伴”という理由で見せられたのは“幸運”に違いなく、無理してお付き合いすると、「椿三十郎」しかりで映画館に行くたび次々やってくる音と色の恐怖・・しかし不思議な満足感。良くも悪くも小学生がふらふらで家へやっと帰還していたのだ。そしてどの映画にも安らぎやあこがれ、戸惑いとかあらゆるものが新鮮に押詰められていて、否応なしに攻めて入ってくる“幸運”な時代そのものだった事も間違いない。
つまり高校生だった叔母が“家族同伴”を言い訳に甥をあらぬ世界へと導き、自己満足と“幸運”な環境を得ていたのだ。デその“同伴の同伴”とかいう同級生も数多く存在して、当時としては高価な“ケーキ”や“スキー”の余禄にあずかった。こうしたウソのような時代のお陰で、邪魔者もなく独善的魅惑の世界に浸り、心行くまで堪能出来たのだが、気がつけば「神部一郎来る」にもご同行を強要されるなど、まるで節操もなく、なんでも聴き、聴かされる日々。「ラ・クンパルシータ」が一日中響いたかと思うと「コルトレーン」で起こされ「N響」のハシリもかじらされた。「ティファニーで・・」などは夢に出るほど話を聞かされ、マンシーニがなければ生きて行けない時期もあった・・ラシイ。しかしアチコチのコンサートや映画にご馳走付きでお供した正真正銘“幸運”の時でもあった。
マなんにしても当時の女学生のしきたりでは、正月は“ニュルンベルグのマイスタージンガー”の情熱的な演奏ではじまった。